どんな会社なのか

東亜工機(とうあこうき)は、
主にシリンダライナと呼ばれる船のエンジン部品をつくっている会社です。

船と一言で言っても多くの種類がありますが、その中でもとっても大きな船のエンジンの部品を造っています。
例えば下の写真のように、大量の荷物を運んだり、大勢のお客さんを乗せる船は大きなエンジンがないと動きません。 もちろん、途中で止まったりしてはいけませんし、すぐに調子が悪くなることもあってはいけません。
もし、エンジンが止まってしまったら、推進が出来ず、方向性を失い、座礁するか沈没するかの大きな海難事故になります。
そんな多くの人の命を預かる部品が東亜工機では、多くの職人の手によって毎日大切に造られています。




大きな船は日本中、世界中に大量の荷物を届けています。
飛行機で運ぶよりも安く、多くのものが一度に運べるのでみなさんの手元にもいろんなものが安くお届け出来ます。

日本が外国から輸入している貨物の99%が船で運ばれているんですよ。ご存知でしたか?





海運業の重要性、船の仕組み・種類についてはこちら(JSA日本船主協会HP)に詳しく掲載されています。(新しいウィンドウが開きます)

なにをつくっているの?

シリンダライナについて

シェア

新造船大型低速ディーゼルエンジン向
[日本] 約70~75%
[世界] 約30~35%

モノや人を運ぶ大型船のうち日本では3/4、世界でも3隻に1隻は東亜工機が造った部品「シリンダライナ」が使われています。

シリンダライナとは?

ピストンとの気密性を保ちつつ、エンジンの爆発力を受け止め、ピストンを滑らかに往復させる為の筒状の部品のことを言います。

内部で燃料が燃焼・爆発するため、高温の熱をもったり、摩耗・変形することが考えられます。
変形してしまうと圧縮された燃焼ガスが外に漏れてしまいます。 そのため、気密性が高く、熱に強く、自身もピストンも摩耗しないシリンダライナが必要とされるのです。

そうは言ってもシリンダライナも消耗品です。数年に一度は故障がないように必ず部品を交換しなければなりません。 そのため絶えず、様々な多くの船のために我々はシリンダライナを造っています。


鋳物(いもの)

シリンダライナは鋳鉄(ちゅうてつ)製が主流です。
鋳型と呼ぶ型に金属を溶かして、これを流し込んで造られるものを一般的に“鋳物”(いもの)と呼びます。 シリンダライナの場合は主に鋳鉄鋳物と呼ばれ、溶とかした金属は鉄の一種である鋳鉄を利用しています。

[鋳鉄鋳物のメリット]
◯ 複雑な形のものでも比較的安く造ることができる
◯ どんな形のものでも造ることができる
◯ 振動や金属音が小さい
◯ 削ったり加工がしやすい

鋳物(いもの)はどうやってできるのか

鋳物ができるまで


シリンダライナ製造の難しさ

現在東亜工機の製品は鋳造・機械加工、手仕上げ技術を必要としています。

鋳造については木型・鋳造方案、鋳型の造り方、良質な溶解材料の選定、溶解方法、型のばらし方等作業者一人一人の技能と管理技術の総合力により材質が決まります。

機械加工は荒加工から仕上げ工程まで10工程以上を異なった機械で加工するので、それぞれの機械操作、加工方法、工具の選定など熟練技能者の経験に頼るところも多いのです。

手仕上げは職人芸であり、機械加工で出来なかった箇所を作業者の手で仕上げをしていきますが、面取りなど難しい技術が必要です。 また、完成品検査技術、材料分析も熟練の技が必要です。このように各工程において高度な技術・技能が集積された製品であり、新規事業者の進出は簡単ではありません。


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地域・鹿島市への貢献

文化の道

文化の道

2008年に横田工場の生産再開を記念する社会貢献イベントとして、一般道路に面した工場外壁に鹿島高校美術部員の絵画17点を掲示し、通りを「文化の道」と命名しました。 11月14日「文化の道」除幕式を行い、現在は鹿島市内の高校生と中学生、小学生の原画を78cm×110cmの大きさにプリントした44点を通りに沿って並べています。 定期的に展示替えをして、工場周辺を散策する市民にひとときの潤いを与える “屋外美術館”として貢献しております。


カノン砲の復元

カノン砲

1977年(昭和52)佐賀県機械金属工業会連合会と佐賀県立博物館から幕末佐賀藩の24ポンドカノン砲を復元してほしいという要請がありました。そして同年9月大砲2門が完成しました。

2門は佐賀藩築地反射炉があったとされる佐賀市立日新小学校敷地内と佐賀市城内の同博物館前にそれぞれ設置されました。

1980年(昭和55)には150ポンドカノン砲1門を復元し佐賀市の佐嘉神社にも納めております。


カノン砲

佐賀県機械金属工業会連合会は1850年(嘉永3)12月12日佐賀藩が日本で初めて洋式反射炉に火を入れたのを記念し、「反射炉まつり」を毎年佐賀市で開催しています。

まつりの呼び物は1977年(昭和52)年復元した24ポンドカノン砲の祝砲。

普段設置している佐賀市立日新小学校から城内の堀端に砲身を運び込み、関係者が火薬に点火するとオレンジ色の火花とともに轟音が一帯に響きます。


幕末、西洋の科学技術を取り入れ、西洋に追い付こうとした佐賀藩の先覚者たちの業績に思いをはせることができます。


なぜ鹿島で船の部品を造るのか

大東亜戦争時代 ~

大東亜戦争末期、軍用船舶の多量生産が緊急に必要となり、長崎県にある川南工業株式会社香焼島造船所は政府より増産命令を受けました。 その頃、川南工業は協力工場の拡充をはかることで準備をしていたところでした。

鹿島地区においても、大東亜戦争も苛烈の時であり、学徒動員、徴用等により男子は戦地に駆り立てられていきました。 また、鹿島・浜地区の酒蔵等には軍の疎開工場が次々と造られていきました。

五人の有志 ~

昭和19年4月、地元有志の中で飯塚虎一氏が大東亜戦争協力と産業発展に寄与する為に鹿島市内に工場設立の希望を披露し協力を求めました。

それに賛同したのが、勝屋弘弼氏、地元政治家である愛野時一郎氏でした。

三人はさらに協力を得た前山町長、古賀秀雄氏の5人で、勝屋弘弼氏の弟が勤務されている川南工業株式会社香焼島造船所を訪問しました。

川南社長に面会し、軍需工場の設立の旨を申し出たところ、同造船所の協力工場として鋳鉄鋳物、機械加工に至るまでの工程を持つ生産工場の新設を依頼され、即日了解しました。

酒造場からのスタート ~

直に有志が相集い協議し工場・事務所を鹿島町横田の井崎酒造場の酒蔵を借用することで昭和19年6月には東亜工機株式会社を設立しました。

昭和19年9月1日に初鋳込みがなされ、それには川南工業より材料も支給され、技術者の指導もありました。

昭和20年8月終戦となり、鹿島・浜地区の軍の疎開工場(酒蔵等)で勤務していた木型・鋳造・機械等の技術を有する海軍工廠出身の技術者には東亜工機に入社して頂き、 疎開工場にあった原材料、機械の払い下げを受け、民需品(鍋・釜等)及び進駐軍・国鉄等用のだるまストーブの生産を開始しました。

船舶エンジン部品の製造へ ~

昭和21年5月船舶運営会(長崎出張所)より引合いがありました。当時、船舶運営会は終戦後の中国・東南アジアから在留者が日本に帰還するため、引揚者として米国船舶を利用した運営がなされていました。 同所に勤務の森左近氏が藤津郡嬉野町出身で東亜工機の経営陣に知己があり、東亜工機には海軍工廠出身の技術者がいることを知っての事でした。

東亜工機は高度な製造技術を有する部品の製造に取り組み、海軍工廠出身の技術者の尽力で他社に負けない品質の部品を造り上げました。

この事が、東亜工機が船舶エンジン部品をつくるきっかけとなり、昭和25年8月より三井造船玉野造船所、昭和30年以降は、三菱重工業、日立造船、石川島播磨重工業、住友重機械工業、川崎重工業等日本の大手造船所と取引頂くようになりました。

さらに昭和30年1月より東京の商社である旭興業(株)(後に旭機械計装、その後旭交易))と取引を開始し、その後同社を代理店として国内大手造船所への営業活動の中心として働いて頂きました。 海外との取引も旭興業(後の旭交易)の力なくしては出来ていません。 昭和39年2月米国ABC社との間でディーゼル部品の製作輸出に関する契約を締結、昭和45年3月に片岡専務(旭交易)と当時の石井専務(東亜工機)が欧州に出張し 英国 River Plate Shipping社との間で欧州地区向け製品の受注販売契約を締結しました。旭交易を通してのビジネスは昭和53年(1978)2月の同社の倒産をもって終了し、 その後東亜工機は世界中の各社との直接取引を開始し、現在に至っています。

優秀な人材 ~

人材的には昭和25年以降より技術者は佐賀を中心とした各地域の出身者に支えられ(九州大学、九州工業大学、佐賀大学、山口大学、宮崎大学、佐世保高専、久留米高専等) また、技能者においても地元の塩田工業高校、鹿島実業高校、佐賀農業高校、太良高校、佐賀工業高校等より継続的に優秀な人材を採用してきており、現在の東亜工機の品質の優秀さの源となっています。


工場見学

東亜工機では団体様の工場見学を無料で受け付けております。
これまで地元の小中学校はもちろん、多くの企業、団体様の見学を実施して参りました。 見学をご希望される方は事前に予約が必要ですのでこちらまでお気軽にお尋ねください。


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環境を守る取り組み

ISO14001

東亜工機は、素材から加工完成までの一貫生産を行う製造業として、自然の恵み豊かな鹿島において 船舶及び陸上用部品をはじめとした鋳鉄製品を生産する中、環境汚染の予防と環境負荷の低減を推進して参りました。

地域の豊かな潤いのある自然環境を守り、事業経営との共生を図ることを基本理念とする東亜工機は、 2014年6月に自然環境保護のための環境マネジメントシステム「ISO14001」を取得しました。

森の中の工場

森の中の工場

1944年6月より東亜工機は鹿島市の中川沿いで操業を続けてきましたが、工場拡大と作業環境改善のため、 1992年鋳造部門と一部機械部門を現在の谷田工場へ移転しました。

有明海を望む高台で周りは山々に囲まれ、野ウサギや小鳥がたくさん集まるところへ工場は引っ越しました。 2004年本社事務所と残りの機械部門すべてを谷田工場へ移転し、工場周辺には多くの木々を植樹し、森の中の工場“クリーンファウンドリー”を徹底しました。

更に工場内では、ゴミの分別はもちろん、鋳込み後に出る押湯、製品を削る際に出る切粉などの再利用、雨水をタンクに溜め植木の散水、 生ゴミを有機分解し肥料として土に返すなど、リサイクルにも積極的に取り組んでいます。

社内の運動

白線キープ運動

2006年からは5S運動も取り入れ、今まで以上のクリーンな環境を整え、更には工場内の白線キープ運動も展開しています。 また、毎月1・15日の朝礼後は工場内のゴミ拾い、除草作業、工場へ続く道路周辺も全社員で清掃活動を行っています。

安全三訓のひとつ、“一人一人が決められたことを実行する”ことで工場は常にキレイな状態を維持しています。 ご来社頂いたお客様に東亜工機を見学してよかったと思っていただけるような工場づくりを目指しています。 私たち自慢の工場を皆様も是非一度ご覧下さい。


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